睡眠とリハビリ

ここ数週間、傾眠がちで、眠りが浅かった。

多分、コデイン(麻薬性中枢性鎮咳薬)を何度か飲んだので、呼吸が浅かったのだと思う。
傾眠も頭痛も、高炭酸ガス血症とか低酸素血症の症状にあるらしい。


病室にリハビリの先生が来てくれて、このところ毎日、呼吸に関わる筋肉と足の筋肉のエクササイズをしている。

一人でできる一番お手軽な運動は、椅子に掛けていること。
難点はお尻(仙骨)が痛くなること。
痛くなったらベッドで休むようにして、昨日はなるべく起きていた。

ベッド上にいるときは、膝でタオルを押さえる筋トレをして、
本を読んだり、タブレットを使うときは椅子で…というように。


そのせいか昨夜は、疲れた?のか、よく眠れた気がする。
「よく眠る」という贅沢はもう諦めようと思っているが、
(だって昼間うとうとしても仕事があるわけでもなく…)
まだまだ疲れる余地があるのか!と驚いた。


この日記、ベッドで書いてしまった。

再入院

入院の前日、明け方から頭痛がして、午後3時頃まで続いた。
頭全体が締め付けられるような痛さで、体勢をいろいろ変えてもどうにもならず、眠る事ができなかった。


夜、娘のブラウスにアイロンをかけ、その後、入院の支度をした。
一度立ったり座ったりするとしばらく動けないので、
なかなか捗らない。朝、夫に手伝ってもらって必要なものを揃えた。


家に鍵をかけて、車に乗り込むのが精一杯だった。
シートを倒して横になっても苦しくて、エアコンを止めて窓を開けてもらった。


病院は結構混んでいた。車椅子で座っている状態が辛くて、診察中に、早く横にならせて下さいとお願いした。


初日は眠りが浅くてよく眠れなかったが、次の日はすぐに眠くなった。そして、熱はないのにやたら汗をかく。

死んでいくということ

石原慎太郎という人は、私の苦手なタイプの典型だが、彼が書いた「わが人生の時の時」は読み応えがあった。
そのなかに、死にかけている時の心境を書いたものがあって、「そう、こんな感じ…」とじわっと感動した。
読んだ当時は今ほど死が近いわけではなかったが、それまで漠然としていた感覚が「自分が一人きりで逝くしみじみとした感じ」という言葉でよみがえった。
この本は、他の人ならはしょってしまうような大事なことが、たくさん言葉にされている。
ぜひ本に書くべきだと勧めた大江健三郎の作家の直感に感謝。大江健三郎も苦手だけどw


では、今死に向かってどう感じているかというと、

とにかく孤独感が凄まじい。
単なる鬱状態なのだろうけど。「しみじみと」という余裕はない。

いずれにしろ、後は一人きりでゆく道。家族や回りの人を騒がせて困らせてしまうことについての、ひたすら申し訳ない気持ち。恩返しもできない。
いろんな事がどんどんできなくなって、自分自身をコントロールできないことが増えてきて、自己嫌悪と罪悪感に陥る。
人が死ぬとは大それた事なのだ、と今頃思う。
生きることを諦めない限り、病苦と孤独に闘わなければならない。


「運命は情け容赦なく、人生は間違いなくバカなものだ。けれどみんな自分一人でやっていくしかないのだ。だれにもほめられなくても、こんなふうに笑って。」
(吉本ばななサンクチュアリ」)


どうか、生きていく皆さんは、毎日を丁寧に生きていってください。

私に心残りはありませんよ。
お世話になりました。


味わい深い人生をありがとう (⌒‐⌒)

右目

私の右目は17歳でヘルペスになってから、視力が不安定だ。
ヘルペスに罹患してから、眼に関係するいろいろ神経がやられた。
はじめのうちはまぶたさえ開かず、眼球の稼働範囲も狭くなった。
涙はでないし、瞳が散瞳しない。たぶん焦点を合わせる筋肉も動かないのだろう、焦点が合う範囲が狭いので、小さなものや活字は見えない。もともと1.2あった視力も、角膜に潰瘍ができてクリアに見えなくなった。
そして不幸中の幸いは、痛さも感じないこと。


それでも、調子がよければ裸眼で1.2が見えた。(左は0.00x)
冬は目が乾燥して結膜炎になったりして、真っ赤な眼になったりしたけど、薬をつければ治った、今までは。
今年の冬は治らず。角膜の傷に血管が伸びてきてしまっている。
あんなにクリアに見えていたのに、今は湯気の中にいるようだ。
免疫力低下かなぁ…。眼科に行く余裕もない。


それも気落ちする原因なのだ。
今日もベッドに横になったままメガネをかけずにテレビをみていたら、
何と、トーク番組に出ている俳優の顔が、少し靄がかかっていたもののクリアに見えて、嬉しくなった。まだ見える!!
使わないと性能が落ちるのかな…。

呼吸困難

hotの会の講演の中にあったが、「呼吸困難」とは、主観的な感覚らしい。
同じSPO2の値でも、苦しいと訴える人もいるし、平気な人もいる。


私は苦しいと言うわりにSPO2の値が高い方なのだろう。入院中は「酸素吸入しましょう」と一度も言われなかった。酸素吸入の必要な人は安静時でもSPO2の値が低い。


このところ、立っていられる時間が短くなってきた。何か動作が加わると、2分くらいが限界。この時点で立ったまま測ると、SPO2が91くらいで脈拍が120くらい。腰かけると脈拍が下がりはじめ、するとSPO2が82くらいに下がって、オキシメーターはしばらくピピピ…いっている。腰かけると心臓が安心して休むのか…?


労作時に苦しいのは仕方ないとして、最近、なにもしなくても不安が高まって苦しく感じることがある。
そういうときは、ベッドに横になってオキシメーターで敢えて測る。
SPO2は正常。95くらい。案の定脈拍が少し速い。90以上。
でも、不思議なことにオキシメーターを見つめているだけで、
SPO2は上がり、脈拍は下がる。
しばらくは、まだこれでいけそうだ。

ADL

W杯が近いので、NHK本田圭佑の特集をやっていた。
体力がないことがコンプレックスだ(った)という本田が、オフシーズンに、ケニアのマラソン選手と一緒に合宿しランニングをする。
開始から数日、ランニング中の本田の呼吸法が変化したことを、ケニアの選手が指摘する。
苦しい状態に身体が適応して、より長く走り続けるのに適した呼吸法に変わった。

理屈ではなく、体が苦しさに適応するよう自分を追い込んだのだ。


為せば成る、はカッコいいけど、自己破壊的でもある。
このところ本田から立ち上る悲壮感が思い出される。

坐禅のような「不放逸」からは正反対の方向へまっしぐらに突き進んでいる。
宇城憲治だったら「体が居付いてしまう」というかな…


とは言うものの、
彼の悲壮な決意はさておき、体の適応力に感動した。

このところADL低下が著しいけど、
まだまだ私も行けるかなぁ。頑張ろう…と思った。

頭痛

昨日は暑かった。
このところ外に出ていなかったので、久々にドライブ。
日本平の頂上まで行き、ソフトクリームを食べる。
眺めはいいのだが、霞んで景色は見えない。
背もたれのない椅子に座っていられなくて、フェンスにしがみついてたっている方が少しラク
外気温26度。苦しくて退散。

家の辺りは29度だった。

疲れて昼寝。

夜眠れないかと思ったが11時頃には寝てしまい、
朝、いつものように苦しくてのたうちまわり、8時に離床。

苦しいのを我慢して食事をし、新聞を読んだら、すっかり足が冷えて眠くなった。
目覚めたら11時。離床したものの頭痛がひどい。
頭頂部を通って左右の耳から耳まで。

でも、人間の適応力ってすごくて、結構慣れる…。
息苦しさも、お尻の痛さも、腰の痛さも、背中の痛さも、肩の痛さも、頭痛も、…慣れる。

暑くなって網戸にして窓を開けているので、鳥の声が聞こえる。
夜にはホトトギスの声がする。