入院その2

入院は2000年(平成12年)以来。

私の主治医は、呼吸器科の科長で今年度末で定年退職。入院中は担当医師が変わった。
新しい担当医の問診に答え、私もこれまでの疑問や思い付きを話した。
この数日間で思い出したのは、11月に気胸になったと思われる症状があったこと。なのにその10日後くらいに八重山地方を旅行し、往復は飛行機に乗ったこと。
多少無理でも動いていたのは、ADLの低下を恐れていたからだ。
しかし思い起こせば、2月下旬からは、夕食の準備で台所に立つのも辛くなっていた。


入院から1週間後、多忙の主治医と入院時だけの担当医と夫と面談した。
趣旨は、病状の説明と急変時対応。入院は1か月くらい。
4月になったら新しい担当医が来るので、引継ぎをして様子を見て退院。
自宅に戻るにあたっては、介護用ベッドを用意しておくように。
そして、前回の宿題について。急変時に人工呼吸器をつけるか否かと、心肺蘇生をするか否か、の意向確認だった。

1時間くらい話し、半分以上延命に関する懸念の説明だったが、
夫は延命しないメリットがわからないと言っていた。
拷問を受けるに等しいだろう苦しさを思えば、
早く楽にしてやれと言うことなのだろうが、
そう直感できないところがわが夫なのだw


入院したからと言って、特に治療するわけではない。
ひたすら安静にして、気胸が進行しないようにする。
最初は1日おきにレントゲン検査。
不思議と食事がきちんと食べられて、
ここ数年減る一方だった体重が、わずかに増えた。

しかし…
病気が進行すれば、気胸も進行する。
安静にしていては筋力が低下する。

4月になって他の総合病院から異動できた医師が担当になった。
私の病気をどのくらい理解してくれているか疑問だったが、
誠実で勤勉そうな医師だった。



この医師が再び延命措置について説明し、
前回説明されなかった決定的なことを教えてくれた。

つまり、一度人工呼吸器を付けてしまうと、どんなに苦しくても本人が望んでも、取り外せない、という恐ろしい事実。取り外すことは、殺人になってしまう。
また、家にいる時に急変して事情説明なく救急車を呼べば、心肺蘇生をして人工呼吸器をつけられてしまうということ。私の場合、体力は低下しているが、他の臓器は健康なので、長く苦しむような気がする。