退院、そして今どきの病棟

4月上旬に退院した。


昔と違って、治らない病人や老人はいられなくなって、ずいぶん健康的になったかと思っていたが、やはり、病院は不健康な場所であるw
「病人」をしていなければならない。なんとなく「病人」してしまうw

皆が回復を信じて正しく養生、努力しているわけではない。


例えば、私と同室だった肺がんのおばさん。年齢は60代後半。
どうやら、癌や化学療法についてきちんと理解しないまま、すべては病院にお任せ状態で漫然と入院していた。一向に回復しないばかりか副作用で体調不良が続く。それを担当医に対する悪口として他の医師や看護師にもぶちまけた。
抗がん剤の副作用で、体力も免疫力も落ちていた。「治療ができないので一度退院しましょう」という提案も承服せずにゴネて病院にいすわった。


退院したくないおばさんの気持ちはよくわかる。
帰って彼女を待っているのは、独身の息子の世話。自分を世話してくれる人はおらず、息子の暴言と散らかった家と明日からの相応の家事が待っている。実家の兄妹や嫁に行った娘は頼れない。お金に困らないなら入院していた方がラクなのだ。病気になるということは、ままならない日常にどうにかこうにか自分と周りの人間も適応して、ときにはこれまでの日常を諦めるということだ。これまで通りには行かないことばかりで、それはしばらく不便だが、悲しいことではない。適応する時間は与えられている。そして彼女には治療法と回復する可能性がある。


彼女は娘の説得で一度は退院した。「2週間後に治療のために再入院」という約束を勝手に早めて入院し、同じ病室に戻ってきた。
しかし「痛みをとってからでないと治療はしない」と言い張って化学療法を受けない。痛みどめが処方されるだけで何もせず、息子がもってきた怪しげな院外の薬も飲んだりしていた。
私が見た感じでは、それほど痛みがひどいようには見えなかった。朝夜の身支度、食事時のテキパキしたようすからすると、十分何でもできるように見えた。辛そうには見えない。うらやましいくらいに。少なくとも私なんかより何でもできて、元気に見えた。それなら当然、体力を温存するために日常的なことはやった方がいい。それが生きるということだ。

しかし彼女は「病人」をやった。看護師が傍にいると、体を動かさず、ベッドから離れない。まずいと言って嫌いなものは食べず、医師の回診や看護師の問診のときには痛い、具合が悪いと言う。元気そうな声でハキハキと。
同室には彼女が退院中に再入院してきた骨転移した肺がんのおばさんがいた。彼女こそ酷い痛みで動くことも治療もできず、微熱、吐き気が続いて、相当大変そうだった。
彼女は、あるいは、もう家に帰らないと決めたのかもしれなかった。そうだとすると、この悲壮な決意こそが今日的な社会問題をあらわしてる。そしてこの問題はあと10年でどんどん悲惨になっていくだろう。今のこの状態を、あの頃は余裕があったなぁと思い出すくらいに。

私が10歳で入院した40年前は、医師も看護師も患者ともっと雑談する余裕があった。私は看護婦さんと五並べをして遊んでもらったのを覚えている。

さて、
私が辟易したのは、彼女が痛み止めが効かないといって薬が強くなり、抗うつ剤や麻薬系の結構強い鎮痛剤が処方されて傾眠がちになって、大きな声ではっきりと寝言を言うことだった。
はじめのうちは、病室では携帯電話での通話禁止にもかかわらず、長く入院している人は携帯電話を平気で使うので、彼女は携帯で通話しているのかと思っていた。どうやら寝言だと気付いたのは、話に脈絡がなく呂律が回っていなかったからだ。
早朝、人の話し声で目が覚ますと、そのおばさんが普通の音量で会話している声がする。まだ暗い。え?と思って時計を見ると午前4時40分だった。
早く退院したい!と強く思ったw

ここに書いたことは、仕切りのカーテン越しに否応なく聞こえてきたことだ。
これを書きながらまた思った。
出来るだけ入院しないぞ!