「偶然」

「幸運な偶然」は当然のように思える。「不幸な偶然」は避けようがあったように思える。それは錯覚だけど、避けようがあったという前提があるから、学習する。しかし、避けようがあったという前提は必要ないのだ。避けようが「あったか」「なかった」の可能性を問えると思うこと自体錯覚である。未来に向けて学習するのみだ。
→ほんとうは「自由」はないのと同じ。