「人生」

永井均「翔太の猫のインサイトの夏休み」

***>>引用開始>**

 たしかにね、人生の内部での自分の欲望の現実化だけをそのつどの人生の目標として生きていくのもむなしいさ。どんな満足感も慣れれば薄れていって、すぐにまた不満足に変わってしまうからね。だから、そうした全体を意味づける何かが欲しくなる気持ちはわかるよ。特にね、不満足な人、不幸な人はね、まさにそのように不幸であることに、自分が生きている本当の意味を見いださざるをえないときがあるからね。それは、やむをえないことさ。
 そういうことを考えるためにはね、翔太、運命ということも、考えておいた方がいいな。13歳の少年なんて、ほんとうはもう何でもわかってるんだよ。とりわけ、哲学が問題にすることなんか、もうぜんぶ知っているさ。でも、ただ一つ、どうしてもわからないことがあるんだ。それはね、これから予想もつかない色々なことが自分に起こるってことさ。ほんとうに、いろんなことが起こるよ。そしてね、そういったことのすべてがたまたまのことなんだ。いま、きみ自身が持っているいろんな素質とか能力とかがあるだろう。若いころはそういうものが自分自身の人生を決めていくような感じを持っている。でも、それは錯覚なんだ。ほんとうは、思いもよらない偶然が君の人生を決定してしまう。幸福な偶然もあれば、不幸な偶然もあるさ。幸福でも不幸でもない偶然もたくさんある。そういったことは文字どおりたまたまなのだから、何の根拠も意味もない。でも、そういう意味のないことがたまたま起こったってことには意味があるんだ。その意味のなさこそをよくよく味わわないと。そこでこそ、全宇宙の存在の奇跡と君の存在の奇跡が出会うんだ。そういう偶然を味わうためにこそ。君は一回かぎりこの世に生まれてきたとさえ言える。
 13歳の少年にわからないことがわかるようになるのは、まったく1回かぎりの自分だけの体験を重ねることを通じてなんだ。そういう体験を味わい尽くすことで、きみははじめて本当の認識力を持った大人になっていくんだ。いいかい、自分に固有の体験を通じてだよ。とりわけ不幸な体験を通じてだ。自分が遭遇した偶然を通じて、君は世の中で一般的に通用している言説や言論がどんなにいい加減で信用ならないものかがわかるようになるはずだ。新聞やテレビや、学者や評論家を、絶対に信用しちゃだめだよ。世の中で通用するってことは、ほんとうに大事なことはぜんぶはしょってあるってことの証拠だからね。哲学から学べるような一般論はね、そういう自分に固有の体験の場で鍛えられてはじめてほんものの知識になるんだ。・・・

**<引用終り<<***