フランクフルト学派

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ル−マンは「批判理論の批判」「フランクフルト学派の批判」から出発したということと、もうひとつ、ルーマン行政学から出発したということです。この二つの出発点が、ルーマンの立ち位置を理解するのに、非常に重要なんです。しかも両方の問題は密接に関係しているのですね。

どっちがわかりやすいかな。前者から話しますと、ハーバーマスルーマンも批判理論に注目します。片や内在し、片や批判する。批判理論とはアメリカに亡命したユダヤ人たちが作った学で、フランクフルト学派とも言います。批判とはカントの概念です。ヒトが触知できない「物自体」を出発点とした上で、どんな認識も所詮ヒトが置いた(pose)ものに過ぎないという観点で認識を積み重ねるのが実証主義(positivism)。認識できない「物自体」に関わる思考を展開するするのがメタ万物学(metaphysics)。形而上学と訳されます。これら双方の原理的不可能性について考察するのが批判(criticism)。具体的には、批判理論は、ナチズムをもたらしたのはこうした原理的不可能性に関する鈍感さだと考えます。たとえば、アドルノならば、理性の不可能性に関する鈍感さだと考えます。こうした批判を梃子に、ナチ的なものに対抗する知恵をアカデミズムに蓄えようというのです。

いろんな命題がそこから出てきました。一つは、たったいま紹介したアドルノの命題。ヒトは理性を信頼しがちだが、理性は暴走するのだ、と。ファシズムを生み出したのは、情緒や感情ではなく、合理的計算の暴走だというのですね。普通、みなさんは、ヒトが不合理なものに惹かれがちだからファシズムが起こるのだと思いがちです。アドルノはそうした通念への批判から出発したわけです。彼は、批判理論の第1世代に属します。

もうひとつ重要な命題を挙げると、彼や、彼と同じく第一世代に属するホルクハイマーやフロムが掲げた、権威主義に関するものです。要は、超越的なもの――神や国家や――に盲目的に帰依する連中はヘタレである、と言う命題です。弱者こそが強い者になりたがり、すがりたがるというわけです。昨今の日本でいうならば「2ちゃん右翼」をイメージすれば分かりやすいですね。批判理論は、カント的な意味で「梯子を外す」理論なので、そうした言い方をするのです。今日でも大きな影響力を持っているんですね。

ルーマンはそこに登場して、そうした批判理論に対する批判を始めます。たとえば、批判理論家の多くが参照するマルクス主義について「虚偽意識論は虚偽意識ではないのか」と批判します。平行移動すれば、理性批判の理性性――結局は理屈をごねるのだから――や、権威主義批判の権威性――批判理論家のなかにも偉いヒトと偉くないヒトがいる――が、問題になりえます。ここには「自己飲み込み構造」があります。

批判理論家自身はこうした構造に比較的無自覚で、何かというと批判の根拠としてデモクラシーや生活世界が持ち出されがちでした。ルーマンからみれば、デモクラシーも生活世界も、システムの生成物にしか過ぎず、それによってシステムの他の部分を批判できると考えるのは素朴すぎます。ちなみに、カント的な批判は「自己飲み込み構造」への敏感さを推奨しますから、ルーマンによる批判から以降、批判理論の第三世代(アクセル・ホネットら)や第四世代(ノルベルト・ボルツら)は、ルーマンのシステム理論を積極的に取り込むようになります。

それとの兼ね合いで、ルーマンの最初のフィールドが行政学だったことも重要になります。行政学のルーツはプロイセンの官房学で、プロイセン国民だったウェーバーが発展させました。行政行為に関わる価値命題を出すことが行政学の目的です。「行政はこうすべきだ」「行政官はこうすべきだ」というわけです。ところが、ウェーバーは新カント派です。新カント派には方法二元論があります。価値命題と事実命題を区別しろ、という立場です。「〜である」と「〜べきである」を区別しろ、ということですね。これについてウェーバーはヴェルトフライライト(価値自由)を提唱しています。価値拘束や、価値拘束を方向づける利害拘束に、自覚的・意識的であるべきだとの推奨です。マルクス主義の虚偽意識論を踏まえた議論ですが、後年「価値自由」が短絡されて、学問は「〜べきである」という価値命題を出してはいけないという話になってきます。これはウェーバーへの誤読ですね。事実命題を出そうが価値命題を出そうが、価値拘束や利害拘束がありうるからです。

この誤読をルーマンも大問題だと考えました。行政学の伝統は価値命題を出すことです。ところが、世を席巻しつつあるアメリカン・サイエンスは「価値命題を出すな」という短絡に陷っている。これは短絡であるが、しかし、いまや素朴に価値命題を出すわけにもいかない。そこでルーマンは、行政学の伝統を生き残らせるべく、価値命題を出力する洗練されたやり方を模索することになります。かくして「べき論の根拠を、人々のコモンセンスや通念や常識や合意にもとめるわけにはいかない。べき論の根拠は、システム合理性ということでなければいけない」と言うようになります。価値命題を正当化するために、システムという概念を後から持ってきた、そういう論理的な構成だとお考えください。これがルーマンの二番目の出発点です。

この二つの立場、「批判理論の鈍感さは批判されるべきである」という立場と、「価値命題を正当化するにはシステム概念が必要である」という立場は、1960年代半ばから1970年代前半にかけて絶大なインパクトを持ちました。当時1970年前後といえば、マルクス主義近代主義が対抗していた時代です。マルクス主義は、もちろんべき論を出力するのですが、近代主義は、それに対抗して、方法二元論を踏まえた科学的な事実命題を出力しようとしました。すると、中高生の時代に正義感に駆られてマルクス主義にコミットした僕のような連中は、今後どういう風に社会の改変に向けた価値的なオリエンテーション(志向)を追求すればいいのか分からず、困ってしまいました。そんな僕にとってはルーマンという存在が「渡りに船」でした。僕自身がルーマンにコミットする契機です。

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