キーワード:「治者の矜持」

辻井(堤)・上野対談はなんか、それなりに面白いけど隔靴掻痒という感じ。それより気になったのは、どちらも当事者意識が足りない――というのとは微妙に違う、何というか、「治者の矜持」が欠如していることがとても気になった。

 戦後世代以降、僕自身も含めて、特に「知識人」周りにみられる、非常に重要な欠落――「ちゃんと偉くなる」やり方を覚えていない、ということ。しばしばその欠如についての自覚自体、欠如しているということ。

 それはちょうど両氏が指摘する、今の40代男性知識人(おれもか)の危うさと、まさに裏腹の関係にあるのではないか。

 いつまでも若い気分のまま、主観的には反逆者のつもりで、客観的に偉くなってしまった人は、しばしば最悪の幼児的暴君になるのではないか、とか(堤、上野両氏がそうだ、とまで言うつもりはないが、その危険と無縁ではなかろう)。ひとごとじゃない。

コメントを書く
charis 2008/07/06 12:07
>「ちゃんと偉くなる」やり方を覚えていない

堤・上野対談は私も面白く読みましたが、堤の親友の三島由紀夫も含めて三人にはシニシズムがあるでしょう。「ちゃんと偉くなる」一つのやり方に従って皆が偉くなるなんて、面白くないじゃないですか。

shinichiroinaba 2008/07/06 12:40
だからと言って現状が面白いというわけではまったくありません。「踏み外しただめな偉くなり方」もまたあきれるほど似通っている。
面白ければそれでよいというわけではない、ということはさておき。

charis 2008/07/06 14:56
たまたま今日の『朝日』に、矢作俊彦が「ぼくだって子供っぽいと言われるけど、成長したんだ」と書いてる。僕は矢作と高校で同級だったことがあるけれど、昔から個性的な男だった。「だめな偉くなり方」とか「いい偉くなり方」とか、あるのかな?

じじい 2008/07/06 15:48
↑ 矢作俊彦と同い年の人物がこんな物欲しげなコメントをしているのは明らかにだめの部類。

charis 2008/07/06 19:14
↑ あはは、御名答。娘も大学卒業するんで、「もう怖いものなしだな、68年の高校生の頃に戻りたいな」なんて思うもの。