歌舞伎座の記事

立川談志初の歌舞伎座公演で「最後かも」[ 06月29日 10時29分 ] 日刊スポーツ

 落語家立川談志(72)と立川談春(42)が28日、東京・歌舞伎座で「親子会」を行った。同所では初めての公演で、座布団に座った2人がセリから上がると、大きな拍手が起こった。談春は「慶安太平記」などを演じた。談志は「倒れなきゃいいなという状況。これが最後かもしれないよ」と、体調が良くない様子だったが、花道から登場し場内を感慨深そうに見上げるなど、初の歌舞伎座を堪能していた。


http://library.cocolog-nifty.com/theater/2008/06/2008628_f039.html


June 29, 2008
談志・談春親子会/歌舞伎座/2008/6/28
三時間考えましたが、歌舞伎座の三階席の階段を出口に向かっておりたときの気持ちを表現できることばがみつかりません。
これほどの大舞台で、これほど切ない親子会をすることになろうとは、立川談志の筋書きにはなかったかもしれないのです。

《演目》
慶安太平記  立川談春
やかん     立川談志
〜中入り〜
芝浜      立川談春

舞台は総檜、歌舞伎の大広間のしつらえで、襖絵は立川の紋である三蓋松が美しい薄緑で描かれていました。しかし、二人並んでお辞儀をしながらすっぽんからせりあがってきたときの姿を、終演時にふたたび見ることはできませんでした。

慶安はこの日にふさわしい出しものでした。談志の好きな講談噺、現在高座にかけているのは談春と三三ぐらいでしょう。きかせどころは多々ありますが、落語らしい落語とはいいがたいので、笑いがとれるわけでもありません。それでも、慶安に憧れるのは談春らしいとわたしは思います。
彼の持ち味は無頼にあるのですが、ここしばらくはそういうものを封印して、どちらかといえば受けない噺をひたすら追求している。それは師匠に聴いてもらいたい一心のような気がしてならない。

談志師匠の体調が思わしくないことは、すでに知らされていました。(5月以降、独演会は一門会に変更されています。)声はかすれているばかりか抑揚がなく、真っ白な顔が不自然に紅潮している。声の調子が悪くても、噺に入ればいつの間にか会場を魅了する迫力はついに現われることがなく、やかんを10分ぐらいで切り上げて終えました。

繰り返し謝罪をしながら、せめてものサービスに何度もきいてきたジョークをいくつもいくつも披露するのでした。

中入り後のアナウンスで、演出上一度すべての灯りを消すといったとき、談春円朝をかけるのかと思いましたが、第一声は亭主を起こす女房の声で始まりました。「芝浜」でした。
結論からいえば、この日の芝浜は必ずしもよい出来であったとは思いません。2005年の暮れに東商ホールで聴いた芝浜のような、ひりひりするものは感じられませんでした。夫婦が最初から仲がよすぎて、亭主の人のよさが終始変わらない。談春コントラストが生きない。

けれども、この日の最後に「芝浜」をかけてしまう談春がわたしはすきです。昨年末、読売ホールで立川談志が演じた「芝浜」は、それまでの女房の若い可愛気を封印した、すがれた夫婦の間から突然希望があふれてくるような芝浜でした。立川談志、渾身の一席です。
その芝浜を、いちばん日の高いこの6月末にかける。師匠の渾身の高座を知っていて、歌舞伎座の舞台にかける。師匠は、談春の今日の「芝浜」を聴くことはおそらくなかったのだと思います。けれども、彼は師匠にきいてほしくて芝浜を語りました。

会場の灯りが一瞬消えて、ふたたびともったあとの舞台では、襖がひかれて色鮮やかなあやめが現われました。手も凍える大晦日の噺を終えて、季節を今にもどして、そこには談志師匠と談春が並んでいるはずでした。師匠は、談春の芝浜について何かひとこと言ってくれ、一緒にお辞儀をするはずでした。談志師匠のあの、数々の胸躍るような落語を高座で聴くことは、もうおそらくないのです。
今日のこの舞台を、師匠とわたしたちに用意してくれた立川談春師匠、どうもありがとう。
(texted by brary)