「いじめ」が終わった時代

>稲葉blog「内藤朝雄

内藤本を連れ合いが読んでいた。

いじめられることが致命的だった時代は過ぎてしまったのではないかと思う。

いじめることの「面白しさ」のメカニズム、いじめる主体の心理状態・欠落感、
組み合わせとしてのいじめられる側になる偶然性、
これらが明らかになると、誰でも加害者・被害者になりうることがわかる、ということ。
集団・共同体帰属の必要性・必然性が低くなったこと。