備忘録:「市民運動・左翼」

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20090420
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 結局『ハーモニー』においても、自傷少女のイライラは突き詰めたところ「自分みたいな存在をこれ以上生まないような世界を作る」という公徳心あふれる行いに回収されてしまうところが嫌ですね。実に嫌味。
 ところで、ポストモダン左翼(それこそ68年世代まで含めての広義での)においては市民的抵抗者とパンクスとのあいだの究極的予定調和への信仰があったのではないか。しかし実際には両者は多少は重なりこそすれ同じものではないのだろう。今更「いやパンクスとスキンヘッズは違う」とか言ってもはじまるまい。
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http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20090419
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拙著『「公共性」論』において真面目に考えていなかった問題があったことに、本書のおかげで気がついた。真綿でくるみこむような超管理社会ユートピアに対する反抗には、よき公民からの「市民的抵抗」のみならず非行少年からの「理由なき反抗」もあるということ。後期J・G・バラードのテーマですか。宇野常寛君に「セックスやバイオレンスの話がない」と言われたことと関係あるのかしら。(ところで宇野君ご高著ご恵投いただけませんか?)
 しかし山形浩生も『コンクリート・アイランド』の解説で述べているとおり、この時期のバラードが何となく失速している感じがするのも事実なんだな。
 ちなみに拙著の議論は「理由なき反抗」によって完全につぶされるかというとそんなことはなくて、原理的にはいかなる「市民的抵抗」も「理由なき反抗」も先回りして空転させることは可能だ、という議論にはなっているはず。
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