備忘録:「敗軍の将兵を語らず」

「敗軍の将兵を語らず」というのも、元々は、「史記」准陰侯伝にある、「敗軍之将、不可以語勇」(はいぐんのしょう、もってゆうをかたるべからず)であるが、それがどういう文脈で使われているかを知るとびっくりする。

准陰侯つまり韓信が背水の陣で打ち破った趙国に広武君という将がいた。広武君は趙王ら指導部に適確な作戦を献策していたのだが、それは採用されることがなかった。韓信は、もし広武君の献策が採用されていたなら、自軍には到底勝ち目がなかったと考え、捕虜となっていた広武君に師事することを申し出、これから燕、斉を攻略するための戦略について教えを乞うた。その時の返答が、この言葉なのである。

 広武君は最初のうちは「敗軍之将、不可以語勇」などといって謙遜していたが、いろいろと説得されて結局、韓信に燕、斉を攻略するための戦略をアドバイスすることとなり、それによって韓信は見事な大勝利を収めることになったのである。

 「敗軍の将兵を語らず」とは、そもそもこのような文脈で出てくる故事成語である。つまり、それは献策が入れられなかった名将が謙遜でいった言葉であり、しかも謙遜にもかかわらず、結局は戦略を教え、その戦略によって大成功を収めるという話である。