人生、踏ん張りどころを間違えなければ案外何とかなる件について

http://kirik.tea-nifty.com/diary/2007/07/post_d976.html
2007.07.28 
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 普段から順調かつ堅実に働いて能力を発揮する人間と、「うわ、やべぇ!」という状況にならないと力が発揮できない人間といるようでありまして。まあ、「うわ、やべぇ!」という状況に陥るなというのが宮本武蔵さん談ですがね。

 まだ終わってないけど何となく思ったことの備忘録的まとめ。

(0 問題が起きるだろうことをあらかじめ予測しておく。天変地異を除いて、起きる問題の内容、問題を起こす人間はたいてい決まっていて予測可能なことが多い。
 → 一番最初に問題に直面した人間が問題の把握に長けた人間とは限らない。可能な限り起きそうな問題を予測しておいて、保険をかけられる準備があったほうが解決は容易になるし、問題自体が露顕しないことも考えられる。

 1 「何もしない」が最良の解決策であろうものと、少なくとも「何かをする」ことが「何もしない」よりも改善されるであろうものを分ける。
 → 一過性の問題に無理に対応しようとして寝た子が一斉に起きる状況がある。相手があることであれば、相手とのコンタクトが可能な人間を、そうと悟られないように準備しておく。

 2 最適でなくても、問題に強い人格を備えた人間を対処に充てる。スキルや専門知識があっても問題処理に向いていない人間は(不満があっても)外す。
 → 事案に詳しい人でも緊急事態に向いてない人格だったり、専門的合理性に拘りすぎて応急判断的な割りきりができない専門馬鹿だったり、敗戦処理を面倒だと考え自分に何の得があるのか計算する人間だったりする場合がある。面談して、事象の説明をさせてみればだいたい判断がつく。が、事前にそういう処理に向いているかどうか知っておいたほうがいい。

 3 状況に流されず、優先順位を合理的につけて淡々とこなす。優先順位は時々によって違うが、予防線や退避口は何があっても温存しておく。
 → 絶対ここは守るという死守の精神は再起の可能性を下げる。問題はすでに起きてしまっていて劣勢なのだから、劣勢が取り返しのつかない決定的敗北に繋がらないよう差配する必要がある。親分がそれに気づいていないときや損失を考えて熱くなっているときは、まず親分から現場の裁量責任者からどいてもらう作業から。

 しかし、世の中には博打で負けた損を博打で取り返そうとする人が何故こんなに多いのでしょうか。ひとつのルールで敗勢なのは仕方がないとして、そのルールを全員が遵守する必要などどこにもないわけで、相手が意識を集中していない違うルールの世界で少しづつ取り返して逝けば、一個一個の局面では負けが込んでても最終的には帳尻が合うやり方も考えつきそうなもんですが。

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