記憶の価値(キェルケゴール)忘却の価値(ニーチェ)

を指摘したのは永井均(『ルサンチマンの哲学』)だけど・・・


宮台先生言い切る。
表現者、変革者と自覚するならそうなんだろうな
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=418
歴史のアイロニーないし社会のアイロニーに鈍感であることは、それ自体犯罪的だと感じる。意味論的に言えば、〈社会〉自体の不条理に直面しつつ生きる時代は終り、日常の陳腐さに耐える時代になった。日常の陳腐さは〈社会〉の不条理でなく、実存の不条理だ。
■〈社会〉の陳腐さに耐え難き実存者は〈世界〉へと離脱する。だが「〈社会〉から〈世界〉へ」という道を素朴に歩めると信じる者は反倫理的だ。如何に〈社会〉が陳腐に見えても、〈世界〉が根源的に未規定なのと似た意味で、〈社会〉も根源的に未規定だからだ。